同時通訳を正しく理解していただくために。
今週の月・火曜日には海抜9600フィート(2900メートル)のスキーリゾートで、ある企業の世界ディストリビューター集会があり、同時通訳を頼まれたので、日曜日夜から火曜日夕方の終了までそこへ行っていました。
もちろん、5月下旬の今ではスキー場はすでにシーズン終了で、リフトの運行も終わっています。しかし、月曜日は午前中は小雪が降っていました。
また、筆者の住んでいる市は海抜5300フィート(1600メートル)ですが、それでもさすがに海抜2900メートルの地へ行くと、ちょっと小走りに急いで歩くと、すぐに息切れがしてしまいました。こんな高地に住民約4500人が住むリゾート都市があるのですが、そこに住んでいる人たちは本当にすごいと思います。
今日書こうと思う内容は日頃から思っていたことですが、通訳に関する理解、特に、同時通訳に関する一般の理解が非常に誤解があると思うので、一度書いてみたいと思います。
ちなみに、筆者は通訳としてのトレーニングは特別受けていません。
最初に通訳を頼まれたのは30年ぐらい前、大学院へ留学している時でした。日本の商社の現地法人から頼まれ、今注目のシェールオイルの件で日本から訪問者が来るので、「お願いします。」と頼まれたは良いけど、内容がまったく理解できず、困った記憶があります。
在学中は合わせて2、3度頼まれたことがありますが、幾ら貰ったのか、本当に通訳料を貰ったのかも、覚えていません。
本格的に頼まれたのは1989年からで、その時には筆者は自営でコンピュータ関連の仕事をしており、時間的に融通が利いたこともあり、「日本からコンピュータ関連の視察が来るので、(言葉だけではなく)IT関連の知識があるので、通訳して欲しい。」ということで頼まれました。その際に、自分の通訳としての能力や報酬を考える前に、「お、自分ひとりなら訪問することが無い様なアメリカの大企業に、訪問団と一緒に行けるゾ。」「アメリカ・カナダ各地を訪問できる。」と思って、そっちの目的のほうが魅力あって引き受けました。
当時は日本もバブル真っ最中で、一回の訪問が2週間。訪問地も3-4都市でした。
当時の細かいヨモヤマ話は書きませんが、通訳としての特別なトレーニングは受けていませんが、このようにOJT(On-The-Job Training)期間が長いので、お蔭様で今は筆者の「職業」の一つとして呼べる程にはなっています。
それでも、同時通訳は避けてきました。
それは、一度だけ法廷内同時通訳(家庭裁判所規模の少人数のもの)を10年ほど前に頼まれて行ったことがあるのですが、そのときの結果が自分では惨めな結果だったので、同時通訳者としての自己の能力を知った筆者は、それ以降は「自分である程度の質のサービスを自身を持って提供できないことは、やらない。」方針で、引き受けていませんでした。
昨年5月末にコロラド州デンバーである団体の国際大会があり、そのときの同時通訳をローカルで2人探しているということであるエージェントから連絡が入り、このときも最初は「自分は、同時通訳者としての訓練も受けていないし、質も保証できないから。」ということで断りました。同時に、「NYCやLA/SFに較べたらこんな田舎の地で、同時通訳者としての仕事も殆ど需要が無いのに、探しても見つからないだろう。」と思っていました。
案の定、「他に見つからないので、頼む。」と言われて、イベントの数日前に結果的に強引に説得されて、嫌々引き受けました。結果的にはここで本当の同時通訳を体験できたので、良かったです。「これからもこんな同時通訳の仕事なら、引き受けても良い。」と思いました。
そしてそれ以降もこの辺りでは適任者が他に少ないので、仕方が無いので、同時通訳も引き受けています。それが2~3日前の仕事です。
と、ここまで前置きが長くなりましたが、本題に入ります。
職業通訳者の通訳の仕事には、3つのタイプの仕事があります。
1.同時通訳
2.逐次通訳
3.サイト通訳
「サイト通訳(Site Interpretation)」とは、現場へ行って紙を渡され、「書いてある内容を、その場で訳しながら別の言語で読む」ことです。これは、法廷で証拠文書や、陪審員・被告などへの指示文書、判決文などが提出されたときに、それをその場で渡され、その場で(英語から)訳しながら(日本語で)読むことです。(事前に入手しておいて、辞書を使ってで翻訳しておく・・・なんて時間はありません。)
われわれ日本人通訳者の場合には、この場合は「英語⇒日本語」への一方的通訳が普通です。
逐次通訳が最も一般的な通訳です。話し手にワンセンテンスを話して貰い、通訳者はそれを通訳して話す。それを繰り返すことです。
この場合には、通訳者は「英語⇒日本語」「日本語⇒英語」の両方を一人で行います。
同時通訳は、話し手が自分のペースで話し続けるのを、通訳者が同時に通訳していきます。
この場合も日本人通訳者の役割は「英語⇒日本語」への一方的通訳です。
なぜ「英語⇒日本語」の同時通訳が難しいかというと、それは、「言葉の理解」の問題ではないんです。通訳者はその定義から、最低2ヶ国語以上の言語を理解している人のことを言うので、「言葉の理解」はそれほど問題ではありません。
「英語⇒日本語」の同時通訳が難しい理由は、英語と日本語の文法構造の違いにあります。
英語: 主語 + 動詞・述語 + 目的語・形容詞 (S+V+O)
日本語: 主語 + 目的語・形容詞 + 動詞・述語 (S+O+V)
つまり、英語を耳で聞いて、それを訳して日本語で話そうと思うと、「主語」の部分はすぐに瞬間的に訳して言えます。
ところが、その後は、末尾の「目的語・形容詞」部分を全部聞き終えないと日本語の文章として完結しないので、通訳者は話を始められないのです。
I went to a supermarket yesterday.
を同時通訳するのに、「私は行きました、スーパーへ、昨日。」とは訳せませんね。でも、もし、そういう訳が許せるなら、
スピーカーの声: | I | went to | a supermarket | yesterday. | ||||
通訳者の声: | 私は | 行きました | スーパーへ | 昨日 |
と聞いている人には聞こえて良いはずです。
ところが、それでは日本語として意味を成さないので、実際には通訳者はスピーカーが最後まで話し終わるのを待たないと、訳を話し始められません。つまり、
スピーカーの声: | I | went to a supermarket yesterday. | ||
通訳者の声: | 私は | 昨日スーパーへ行きました。 |
という風になります。
しかし、通訳者がやっと「昨日・・・」と言い掛けている時に、スピーカーのほうはもう次のセンテンスを話し始めています。つまり、
スピーカーの声: | I | went to a supermarket yesterday. | And, I bought a pound of sashimi fish for dinner tonight. | |||
通訳者の声: | 私は | 昨日 | スーパーへ行きました。 |
つまり、同時通訳者は後半部分は「スーパーへ行きました。」と口では言いながら、耳ではスピーカーの次の文章(And, I bought a pound of sashimi fish for dinner tonight.)を聞き取らなければ成らないのです!
ここが、同時通訳者の最も難しいところです。「日本語で話しながら、(同時に、まだ訳していない次の文章を、別の言語である)英語で聞くこと。」これは、2ヶ国語を理解する言語の訓練とは別の、「話しながら、聞くこと」という脳の訓練が必要です。しかも、話す言葉と、聴く言葉の言語が違います。
現実問題として、同じ言語でさえ話しながら別の文章を聞くのは大変なのに、日本語で話しながら英語で聞くのは、どんな同時通訳者でも絶対に完璧にはできません。
しかも、(話しながら)聞いている文章の中に自分には聴きなれない言葉や人名・商品名・会社名などのように意味を成さない言葉があったとします。目の前にその不慣れな言葉のスペルも無いのに、それを考える時間も与えられず、推測して話さなければ成らない苦痛・・・
したがって、結果的に同時通訳ではスピーカーの後を追って訳文を話していると、どっかで時間が間に合わないので、途中をスキップしないとキャッチアップできない・・・なんてことは、しょっちゅうあります。同時通訳者の質にもよりますが。
もちろん、真の同時通訳者は「聞きながら話す」訓練をしていて、話すほうと聞くほうに人の(合わせて)2倍も集中力を注ぐ訓練をしているわけですが、それにしても、その大変なことを察してください。
■ 国際会議や展示会基調演説などの同時通訳は、どうなってんの?
通常、大きな国際会議や展示会の基調演説などは、スピーカーの話す内容は事前にシナリオ(スクリプト)が出来ていて、スピーカーは原稿やテレプロンプターを見ながら、その原稿通りに話をします。(もちろん、多少はアドリブが入りますが、99%はシナリオ通りに話します。)
こう言う場合には、同時通訳者にはそのシナリオが事前に配布されます。事前と言っても、当日朝のことが多いです。したがって、前日までに辞書で分からない単語を翻訳しておいて準備する時間は与えられないことが多いです。
同時通訳者は、そのシナリオを手に持って見ながら、スピーカーの話す文章のタイミングに合わせて、それを訳して、話します。
アドリブが入れば、アドリブも追加で訳さないといけません。
しかし、殆どはシナリオ通りに話すので、それほど「聞くほう」に集中力を注ぐ必要はありません。
シナリオが事前に準備されている同時通訳の場合には、最初のほうに書いた3つの「通訳タイプ」の中でも「サイト通訳」に近く、体力的にはそれほど難しくありません。
このような国際会議や展示会の同時通訳でも、一言語を2人で担当し、20分交代で同時通訳するのが普通です。
つまり、『それほど「聞くほう」に集中力を注ぐ必要はありません。』と書きましたが、このようにシナリオが準備された同時通訳でも、聞きながら話すのは「集中力を必要とされる仕事であり、一人で長時間続けると、同時通訳者が疲れてくる。」と業界では認識されているからです。
同時通訳者が疲労がたまると、通訳した言葉がしどろもどろになります。シナリオが用意されていない場合には聞くほうへの集中力が鈍るので、スピーカーの言っている内容の半分も訳せなくなります。
通訳者の人件費は「通訳した時間」ではなく、「拘束時間」で支払われるのが業界の慣習です。
したがって、イベントが一日8時間続くと、2人で20分交代で通訳しても、それぞれの同時通訳者が8時間分の人件費を受け取るのが慣習です。
■ シナリオの無い同時通訳への期待
ここまでの説明を読んでいただけると、シナリオや資料が事前に配布されない同時通訳が、どんなに難しいか分かると思います。
国際会議の同時通訳などは、シナリオ(スクリプト)と言うカンニングペーパーを貰って、同時通訳しているのです。それを知らずに、「同時通訳は、頼めば、(後は何もしないで)やって貰える」と思って、カンニングペーパー(シナリオ)無しで頼んで来る依頼主の多いこと!
何度かリピートでやる場合は別として、初めてのときに新しい単語が出てきて、それが商品名なのか、辞書に載っているべき一般単語なのか、人名なのか・・・も分からないような単語を言われて、瞬間的に判断しろったって、無理でしょう。
同時通訳者としては、同時通訳の質を要求するならば、人名・商品名・会社名などの固有名詞などのスペルが事前に分かるような資料が、前夜までに欲しいです。
それが出来なければ、「全体像が分かれば良い」程度の期待で望んでください。
※ 逐次通訳の場合には、通訳者が理解出来ない場合には話し手に聞き返せるので、正確さは増します。
ちなみに、月曜・火曜日の仕事は、
● シナリオも無く、
● 商品名などの事前資料も無く、
● 一人で朝から夕方までやる同時通訳の仕事、
でした。同時通訳者としては、これは最悪の環境での仕事です。しかし、これは世間一般に同時通訳という職業、特に、英日など構文構造が違う言語間での同時通訳の困難さが理解されておらず、「同時通訳を呼べば、何でも完璧に訳してもらえる」と誤解している人が多いためであり、同時通訳者の本当の能力(「話す、聞く」という2つのことを同時に行う肉体的能力)や、それを強化するためのトレーニングが一般に理解されていないことが原因です。
同時通訳という職業を真に理解してもらえれば、依頼するほうの協力ももう少し変わってくるだろうと思って、この記事を書こうと思った次第です。
■ 同時通訳者が欲しいツール
今のテクノロジーの時代にこう言うアプリが無いのが本当に不思議ではあるのですが、同時通訳者として欲しいツールは、リアルタイムでスピーカーの話し声を活字にしてくれるツールです。
iPhone/iPadやスマートフォンの音声認識翻訳アプリには、話し手の文章一文を最後まで聞いて、ボタンをタップすると、日本語に翻訳した文章を画面に表示してくれるアプリはあります。
同時通訳者としては翻訳するのは自分の仕事なので、アプリが翻訳してくれる必要は無いのですが、文章を最後まで聞いてからボタンを押すのではなく、一単語単位でリアルタイムで聞いた言葉をiPadの画面に活字で表示してくれると、助かります。リアルタイムのディクテーション(口述書き取り)アプリですね。
英語は、英語のままで表示してくれれば、良いです。そして、画面一杯になったら、順次スクロールしていって欲しいです。内容を記録保存する必要は無いですが、文字データはそれほど大量のバイト数ではないので、保存できれば、したほうが良いでしょう。
これがあれば、「話しながら、聞くほうに集中する」エネルギーが軽減され、「サイト通訳」や、シナリオのある同時通訳に近くなるので、楽になります。
こんなに音声認識技術が進んできているのに、なんで、そんなアプリが無いのでしょう?
なるほど、この記事で納得いきました。
私も過去、30年近く前、7年間の留学時代に同時通訳を頼まれたり、
現在でもたまに頼まれるのですが、
どうも下手くそなので、通訳にはあまり自信が持てませんでした。
(今は英語を喋る機会が減っているのも当然あるのですが)
聞いている端から、通訳をこころみるものの、一つのセンテンスが長い人の通訳は
センテンス前半の内容を忘れてしまい、 あれってことになりがちです。
大体ぶっつけ本番で 資料などくれません。
逐次通訳なら頼まれることにしていますが、同時通訳は自信がなくて
(俺って、もしかして本当は 英語下手だったの? と思いながら)
断っているのが、現状です。
でも、家内と旅行に行っても、海外の友人と食事中に自分だけ通訳をするため、
他の人の2倍はしゃべるわけで、 食事の味がよくわからないことも度々あります。
(もしかすると、下手なのかも? (^^)
Yoshidaさん 文中の
>しかし、通訳者がやっと「昨日・・・」と言い掛けている時に、スピーカーのほうはもう次のセンテンスを話し始めています。つまり、
スピーカーの声: I went to a supermarket yesterday. And, I bought a pound of sashimi fish for dinner tonight.
通訳者の声: 私は 昨日 スーパーへ行きました。
つまり、同時通訳者は後半部分は「スーパーへ行きました。」と口では言いながら、耳ではスピーカーの次の文章(And, I bought a pound of sashimi fish for dinner tonight.)を聞き取らなければ成らないのです!
は 大変わかり易い事例でした。
文章がわかりやすいですね。
これも、ブログを長年書かれている影響でしょうか?
それか、もともと文才があるのでしょうね。
石巻ボランティア 返信:
2013年5月27日 5:42 PM
追記です。
これからもわかりやすい 良い記事を書き続けてください。
迷えるケータイユーザーが Yoshidaさんの記事をあてにしていますから。
今後共よろしくお願いします。
管理人 返信:
2013年5月27日 11:51 PM
逐次通訳に関してはここで書きませんでしたが、職業逐次通訳者に関しても語学力は当たり前で、実は最も大事な能力は「瞬間的記憶力・短い時間の記憶力」ですね。
スピーカーの行ったことを全部通訳するのが通訳者の役割ですから、長い文章を言われて、最後のほうだけチョコチョコ訳するのは、プロのすることではないと思います。(日常通訳くらいなら、それで問題ありませんが・・・)
したがって、スピーカーの行ったことを訳が終わるまで全部覚えておく記憶力の訓練が、プロ通訳者としては必要です。
普通はメモ帳にキーワードをメモをしておいて、忘れないようにするのですが、それでも長い文章だと「自分が何をメモったか」すら忘れることがありますね。
あと、文章を長く言うスピーカーに対しては、どのくらいの文章で区切ってほしいかをわかってもらうために、通訳者であるこちらが間に入って訳を初めて相手の話を止めさせ、それを何回か繰り返していると、相手もペースがわかってくれて、それ以降は「いい調子」になることもあります。
もう10年以上前ですが、ある会社へ訪問するときに、訪問側から私は通訳として雇われて行きましたが、先方の会社も通訳を手配していました。
逐次通訳でしたが、その通訳の人がすばらしいと思ったのは、彼女は英語速記でスピーカーの話を1ワード残らず全てをメモに書き取って、それからそれを見ながら訳して話していました。これだと絶対に「最初のほうを忘れる」と言う事が発生しないので、すごいと思いました。
ただ、問題が一つあって、たとえ速記でも、スピーカーがそのセンテンスの話を終えて、彼女が全文を書き終えるまでの間、数秒から10秒ほど、必ず間にギャップが発生するのが気になりました。
今から私は英文速記を覚える気にはなりませんが、でもこの方法はすごいと思いました。
初めまして、同じくアメリカで同時通訳をしています。
日本の某車企業の製造工場で企業通翻訳をして日英母国語なので同時通訳が自然とできるんですが、疲れます…それを誰も苦労や疲労を理解してくれないなーと同じ苦労をしている方を探していました。
記事の内容を会社の方々に見せたいぐらいです、こっちだと同時通訳は日英両方を一人で通訳するし時間も平均一時間半など慣れないと疲れるどころではないですしね。現場に立ちっぱなしで大声で叫んで同時通訳を5時間などもあったり、通訳はさも当然って顔で仕事しているように見えるでしょうが『脳が爆発寸前』という苦痛がなかなか理解されません。通訳を使い慣れていなからこそ同時通訳ができない通訳にはなかなか厳しい対応です…同時通訳してる私も逐次通訳を許さない環境づくりに手を貸しているのでしょうけれど。両方母国語で日常会話の延長と勘違いされがちなんですが、どうやったら『日常会話とは訳が違う!500倍疲れる!』とわかってもらえるのか…
「瞬間的記憶力・短い時間の記憶力」はまさしくその通りです!企業秘密とか訳しても会議中は覚えていても会議が終わったら綺麗さっぱり忘れているので、あの切り替えが自分でも不思議です。通訳あるあるなんでしょうか